3.11の大震災と原発事故から1年。社会的側面からの発言は普段からしているので、今日は己に寄せて「私にとっての3.11」(笑)を簡単に。
*
実は3.11が私に与えた影響はほとんど無かった。・・・こう書くと語弊が生じてしまうかもしれない。だが被災地から遠く離れた九州に住んでいたので、印刷業界の混乱による仕事上のドタバタとフリーペーパー『IM...identity market』の復刊延期。この2点を除けば、物理的な影響はほとんど無かった。また3.11で崩れた様々なモノは以前から信用していなかった上、地震の怖さは95年阪神淡路大震災、津波の怖さは04年スマトラ島沖地震、災害後に生じる差別意識の怖さは01年同時多発テロ・・・これらの災害によって既に感じショックを受けていたので、精神的な影響もさほど無かった。これが正直なところである。
3.11が私に与えた影響はほとんど無かった。だが今後も無いというわけではない。・・・いや、実は今後にこそ3.11は私に大きな影響を与えることになるはずだし、そうしなければならない。なぜならば埼玉・秩父出身の両親のもとに生まれ、20代半ばまで神奈川・横浜で育ち、そして17年前に九州・熊本に移ってきたという自身の生い立ちが、3.11以降意味を持ち始めてきたからである。
ご存知の通り、3.11以降東北や関東から多くの人が西日本に移ってきた。そして放射能汚染が少ないというニュースが流れたせいか、それとも当初動きの鈍かった被災者受け入れ態勢がようやく整ってきたせいか、その流れは今なお続いている。(事実、おとといも神奈川から移住先を探しに来た家族と出会った)
移住してきた人達に対し物理的な支援は出来ない。残念ながら今の私にそのチカラはない。だがそうであっても、移住してきた人にとって私が「先輩」であることに変わりはない。当時いた会社の転勤という偶然かつ他律的な理由による移住とはいえ、17年半の熊本在住経験を持つ東日本からの移住者はそう多くないはず。数少ない「先輩」としての自覚と言動・・・今現在の、そして今後の私には、それが求められているのだ。
在住経験を語ること・・・もちろんそれも重要だ。だがより大事なのは、楽しく元気に生きること。実りある九州・熊本ライフを見せること。後輩に希望を与えることこそが、「先輩」に課せられた唯一の義務なのだから。
*
かつての交際相手と親兄弟にしか話してこなかったことだが、実はかなり以前から、私は2011年に関東に戻ることにしていた。「新幹線が開通したら横浜に戻る」と伝えていたのだ。
しかし奇しくも、熊本に新幹線が通る前日、2011年3月11日に震災と原発事故が起こってしまった・・・
そして奇しくも、私は「先輩」になってしまった・・・
昨年秋に予定していた横浜戻りは無期限延期・・・震災後しばらく経ってから、親兄弟にはそう伝えた。別れてしまったので元カノには伝えてないが(笑)
私も生身の人間ゆえ、親兄弟も存在するし肉体的な制約もある。いつまで九州・熊本に住んでいられるのかは分からない。死ぬまで住むことになるかもしれないし、1年後には横浜に戻る、あるいは別の土地に移ることになるのかもしれない。
だが九州・熊本に住む限り「先輩」としての自覚と言動を心掛けつつ、楽しく元気に生きていこう!・・・この決意こそが、「私にとっての3.11」なのである。
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実は3.11が私に与えた影響はほとんど無かった。・・・こう書くと語弊が生じてしまうかもしれない。だが被災地から遠く離れた九州に住んでいたので、印刷業界の混乱による仕事上のドタバタとフリーペーパー『IM...identity market』の復刊延期。この2点を除けば、物理的な影響はほとんど無かった。また3.11で崩れた様々なモノは以前から信用していなかった上、地震の怖さは95年阪神淡路大震災、津波の怖さは04年スマトラ島沖地震、災害後に生じる差別意識の怖さは01年同時多発テロ・・・これらの災害によって既に感じショックを受けていたので、精神的な影響もさほど無かった。これが正直なところである。
3.11が私に与えた影響はほとんど無かった。だが今後も無いというわけではない。・・・いや、実は今後にこそ3.11は私に大きな影響を与えることになるはずだし、そうしなければならない。なぜならば埼玉・秩父出身の両親のもとに生まれ、20代半ばまで神奈川・横浜で育ち、そして17年前に九州・熊本に移ってきたという自身の生い立ちが、3.11以降意味を持ち始めてきたからである。
ご存知の通り、3.11以降東北や関東から多くの人が西日本に移ってきた。そして放射能汚染が少ないというニュースが流れたせいか、それとも当初動きの鈍かった被災者受け入れ態勢がようやく整ってきたせいか、その流れは今なお続いている。(事実、おとといも神奈川から移住先を探しに来た家族と出会った)
移住してきた人達に対し物理的な支援は出来ない。残念ながら今の私にそのチカラはない。だがそうであっても、移住してきた人にとって私が「先輩」であることに変わりはない。当時いた会社の転勤という偶然かつ他律的な理由による移住とはいえ、17年半の熊本在住経験を持つ東日本からの移住者はそう多くないはず。数少ない「先輩」としての自覚と言動・・・今現在の、そして今後の私には、それが求められているのだ。
在住経験を語ること・・・もちろんそれも重要だ。だがより大事なのは、楽しく元気に生きること。実りある九州・熊本ライフを見せること。後輩に希望を与えることこそが、「先輩」に課せられた唯一の義務なのだから。
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かつての交際相手と親兄弟にしか話してこなかったことだが、実はかなり以前から、私は2011年に関東に戻ることにしていた。「新幹線が開通したら横浜に戻る」と伝えていたのだ。
しかし奇しくも、熊本に新幹線が通る前日、2011年3月11日に震災と原発事故が起こってしまった・・・
そして奇しくも、私は「先輩」になってしまった・・・
昨年秋に予定していた横浜戻りは無期限延期・・・震災後しばらく経ってから、親兄弟にはそう伝えた。別れてしまったので元カノには伝えてないが(笑)
私も生身の人間ゆえ、親兄弟も存在するし肉体的な制約もある。いつまで九州・熊本に住んでいられるのかは分からない。死ぬまで住むことになるかもしれないし、1年後には横浜に戻る、あるいは別の土地に移ることになるのかもしれない。
だが九州・熊本に住む限り「先輩」としての自覚と言動を心掛けつつ、楽しく元気に生きていこう!・・・この決意こそが、「私にとっての3.11」なのである。
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