以下は2004年5月9〜13日に『裏凡identity market』に発表した文章の再録です。再録にあたり「1へえ。」〜「5へえ。」の5本の文章を統合。併せて一部の表現を修整しました。
ちょうど5年前という安直な理由でこの文章を掘り起こしたのですが、あらためて読み返すと案外タイムリーなのではないかと・・・
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作家の丸谷才一氏が面白いことを書いていた。曰く、〈日本語ではエ列音は格が低い〉〔※1〕。ゆえに平成という年号は、〈ここ数十年間で最悪の名づけ〉なのだと。〈ヘイセイ(実際の発音はヘエセエ)はこのエ列音が四つ並ぶ〉〈狭苦しくて気が晴れない〉年号なのだと。・・・面白い発見をするものである。
なぜエ列音は格が低いのか?それは日本語の成り立ちに由来するという。元々、日本語の母音は「ア」「イ」「ウ」「オ」の四つで、「エ」は後から入ってきたらしい。そのため、〈後来のエ列音には、概して、侮蔑的な、悪意のこもった、マイナス方向の言葉がはいることになった〉という。
〈エセ〉〈ケチ〉〈セコイ〉〈ヘタ〉〈ヘコム〉〈ヘツラウ〉・・・確かにそういう言葉は多い。
〈エヘヘ〉〈ヘナヘナ〉・・・確かに弱く品も無い。
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私もタメシに調べてみた。都道府県のアタマの発音。
青森、長野、愛知、香川、鹿児島・・・ア列の音は15県。
新潟、宮城、京都、島根、広島・・・イ列は1府14県。
福井、福岡、福島、群馬、熊本・・・ウ列は少なく全5県。
大阪、富山、東京、高知、沖縄・・・オ列は1都1道1府に8県。
残るエ列は?・・・四国に愛媛のただ1県!
やはりエ列は分が悪い。
次に五十音別の苗字数。ある苗字ランキングの索引にある約5千苗字を数えてみた。
ア:229 カ:385 サ:167 タ:304 ナ:217 ハ:182 マ:176 ヤ:181 ラ:0 ワ:55
イ:339 キ:143 シ:250 チ: 27 ニ: 98 ヒ:136 ミ:184 リ:5
ウ:133 ク:138 ス: 98 ツ: 86 ヌ: 12 フ:171 ム: 51 ユ: 30 ル:0
エ: 56 ケ: 2 セ: 69 テ: 41 ネ: 6 ヘ: 6 メ: 5 レ:0
オ:336 コ:230 ソ: 40 ト:137 ノ: 46 ホ: 68 モ: 95 ヨ: 96 ロ:0
ラ行がほとんどないのは、しりとり遊びでご存知の通り、元からラ行で始まる日本語が少ないからだろう。そのラ行を除くと、やはりエ列が押し並べて少ない。中でも「ケ」「ネ」「ヘ」「メ」の少なさが目立つ。「ネ」「メ」はそもそも表す漢字が少ないので不思議はない。だが「ケ」で始まる漢字はいくらでもある。「ヘ」は「ケ」に比べるとだいぶ少ないが、それでもやはりかなりある。
漢字があるのに苗字が少ない。これにはワケがありそうだ。
そこで「ケ」と「ヘ」で始まる訓読みの主な漢字を挙げてみる。訓読みで表す言葉は即ち古来からの日本語だ。
け(げ):「毛」「汚れ」「消す」「削る」「貶(けな)す」「煙」「獣」「蹴る」「険しい」。古くは「怪」「異」も「け」と読んだ。
へ(べ):「屁」「辺」「部」「塀」「臍(へそ)」「蔕(へた)」「隔てる」「紅」「蛇」「諂(へつら)う」「謙(へりくだ)る」「減る」「経る」。
主な漢字を挙げてみたのだが、「ケ」はほとんど全て、「へ」も大半がマイナス方向の言葉だ。
ちなみに同じエ列でも苗字が比較的多い「え」だと、「江」「柄」「兄」「重」「抉(えぐ)る」「餌」「枝」「蝦(えび)」「夷(えびす)」「笑む」「鰓(えら)」「偉い」「選ぶ」「得る」「獲る」。また「て(で)」は意外に少ないのだが、「手」「寺」「凸」「衒う(てらう)」「照る」「出る」。決してマイナス方向ばかりでない。むしろプラス方向が多いぐらいだ。
「け」と「へ」の漢字をよくみると、それぞれ「忌むべきもの」「取るに足らないもの」が多い。古語には疎いので断言は避けるが、恐らく「け」と「へ」の音自体に、そういう意味があったのではないだろうか。ならば苗字に使われないのも当然だ。
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話を「平成」に戻そう。
丸谷氏は〈不景気、大地震、戦争とろくでもないことが続くのはこのせいかも〉と書き、〈法律を手直しして改元すべき〉と訴え、しまいには年号廃止論にまで言及している。
先に書いた通り、私はエ列音すべてが悪いという意見には賛成できない。(悪いのだったら「てんのう」などという言葉も考え直さなくてはいかん!)
だが、「へ」は良くない。「へま」「へぼ」[へどろ」「へりくつ」「へなちょこ」「へっぴりごし」・・・「へ」は今なお威力充分。バリバリの現役なのだ。そんな音で始まる言葉が年号に相応しいとは思えない。(でも「へいか」も「へ」から始まるんだよね・・・どうしよう)
それから〈エ列音が四つ並ぶ〉ということはさておいても、「ヘエセエ」という言葉はやはり間抜けで締まりがない。「ヘイセイ」と無理に発音してみても、ちょっとは締まった感じにはなるが、やはり腰の軽さは拭えない。まるで今の日本を象徴しているかのようだ。
言葉の中には言霊が宿る。・・・ピンと来ない人も多いかもしれない。だが、繰り返し使われる言葉が人間の心理に与える影響力と書き改めれば、大方納得するだろう。
言葉はイメージを喚起する。始めて耳にするとき、始めて声に出すときは意識の上にイメージを喚起する。だが、何十回、何百回と耳にし声に出すうちに、ある種の言葉は意味を失い記号のようなものになる。そしてイメージが喚起される場所は意識から無意識の領域に移行する。そして言霊が誕生する。
年号は時代を表す言葉。そこに生きる全ての人間にかかわってくる。ゆえに、ここに宿るであろう言霊の威力は計り知れない。だから多くの国では単なる数字で時代を表し言霊を避けてきた。また年号を使う日本でも、凶事があるごとに年号を変えてきた。言霊の威力を知っていたからだ。
恐らく平成の年号を決めた人々の頭には、言霊のことなど全く無かったのであろう。筆で書かれた「平成」の二文字を見て、真っ直ぐ芯を通して末広がりなどと喜んで、それで決めしまったのであろう。丸谷氏の書くところによると、年号決定の懇談会で東洋思想の権威が「平成」に猛反対したらしいとのこと。だが残念ながら受け入れられず、そして時代は「ヘエセエ」になった。
天下泰平への願いは昔も今も変わらない。2千年の年号の歴史の中で、平成以前に「平」の字が使われたのは7度。しかし「へい」と読むものはそのうち3度。そして頭に「平」の字を使ったのは「平治」のただ1度のみ。しかも平清盛の武力をバックに後白河上皇が好き放題やってた時の年号というミソがつく。つまり「平」家が「治」める世の意・・・マトモな年号とはとても言えまい。
「平」のみならず「へ」で始まる年号自体、実はこの「平治」のみ。「へ」で始まることを避けてきた。そう考えてもよいだろう。東洋思想の権威とやらが猛反対したのもうなづける。
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件の丸谷氏のように大地震まで引き合いに出すつもりはないが、不景気などは「ヘエセエ」の言霊が引き起こしているように思えてならない。不況は構造の問題だが、不景気は精神の問題。ダメだダメだとシラケているばかりで、何の行動も起そうとしない。自分も社会の一員のくせにひとごとだと思い、何の責任も感じない。自分の身の丈以上のことについては、深く考えようとすらしない。老若男女政官民、全ての日本人が「ヘエセエ」の言霊に蝕まれてしまっているのではないだろうか?
元号法を変えなければならないが、今さら維新政府の意向に沿って作られたであろう「一世一元の制」などにこだわる必要もあるまい。私も改元すべきだと思う。改元すれば今上の明仁陛下が、将来「ヘエセエ天皇」になってしまわれることもない。
改元が多くなると暦として使いにくくなる。それはもっともだ。
ならば、いっそこの際、皇紀を正式な歴に採用してみてはどうか?初代神武天皇から数える皇紀。今年は皇紀2664年。誰が名付けたのかも知れぬ年号などより、この方が素直に受け入れられる。
ついでに書けば、新たな年号はぜひ、明仁陛下のおことばとして聞きたい。さえない官房長官なんかから聞かされるのは、もうご勘弁!
*
最後に。
実は平成の言霊なんかより、ずっと深刻な言霊が身近に存在している。
それは平和の言霊。そう、「平和」も同じく「へ」の音で始まるのだ。
終戦から約60年。日本は平和主義を標榜し、欧米とは違う存在感を世界各国に示してきた。戦前の過ちを繰り返さずに平和を求める強い信念として、世界各国に信頼されてきた。
だが、その信念は確固たるものではなかった。アメリカの誘惑や北朝鮮の牽制によって、簡単に揺らいでしまう程度のものだった。
あれだけの修羅場をくぐり抜けて体得した平和主義だというのに、なぜそれを信じることが出来ないのか?
真の平和主義はどんな武器よりも、どんな外交戦略よりも勝ると、なぜ世界に訴えることが出来ないのか?
もしかしたら、「へ」の音が「平和」に頼りない印象を与えてしまっているのではないだろうか?「へ」に宿る言霊のせいで、日本人は平和を信じ切ることが出来ないのではないだろうか?
戦争が無く世界の皆が互いを尊重し穏やかに共存共栄している世界・・・・・・この理想世界を表現する言葉として、「平和」はちょっと役不足なのかも知れない。
終戦から約60年。
身を以って戦争を知る者が社会から去りつつあるいま、
「平和」に代わる強く頼もしい言葉を、
揺らぎのない精神と勇気をもたらす言霊が宿ってくれる言葉を、
探し求めるべきなのかもしれない。
〔※1〕〈 〉内:丸谷才一「袖のボタン」、『朝日新聞2004年5月4日<西部本社第10版20面>』(朝日新聞社、2004)より引用。以下同様。
【参考資料】
『日本姓氏紋章総覧』(1993、新人物往来社、1993年11月7日発行)
『NOBI WORLD NETWORK』>ノビ・カレンダー>年号対照表(2004、株式会社ノビシステムズコーポレーション、2004年5月12日掲載版)[http://www.nobi.or.jp]
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