へえ。

 多忙な上に最近ネットの調子もいまひとつ。よって過去の遺産でつないでおきます。
 以下は2004年5月9〜13日に『裏凡identity market』に発表した文章の再録です。再録にあたり「1へえ。」〜「5へえ。」の5本の文章を統合。併せて一部の表現を修整しました。
 ちょうど5年前という安直な理由でこの文章を掘り起こしたのですが、あらためて読み返すと案外タイムリーなのではないかと・・・

*--------------------------------------*


 作家の丸谷才一氏が面白いことを書いていた。曰く、〈日本語ではエ列音は格が低い〉〔※1〕。ゆえに平成という年号は、〈ここ数十年間で最悪の名づけ〉なのだと。〈ヘイセイ(実際の発音はヘエセエ)はこのエ列音が四つ並ぶ〉〈狭苦しくて気が晴れない〉年号なのだと。・・・面白い発見をするものである。

 なぜエ列音は格が低いのか?それは日本語の成り立ちに由来するという。元々、日本語の母音は「ア」「イ」「ウ」「オ」の四つで、「エ」は後から入ってきたらしい。そのため、〈後来のエ列音には、概して、侮蔑的な、悪意のこもった、マイナス方向の言葉がはいることになった〉という。
 〈エセ〉〈ケチ〉〈セコイ〉〈ヘタ〉〈ヘコム〉〈ヘツラウ〉・・・確かにそういう言葉は多い。
 〈エヘヘ〉〈ヘナヘナ〉・・・確かに弱く品も無い。



 私もタメシに調べてみた。都道府県のアタマの発音。

 青森、長野、愛知、香川、鹿児島・・・ア列の音は15県。
 新潟、宮城、京都、島根、広島・・・イ列は1府14県。
 福井、福岡、福島、群馬、熊本・・・ウ列は少なく全5県。
 大阪、富山、東京、高知、沖縄・・・オ列は1都1道1府に8県。
 残るエ列は?・・・四国に愛媛のただ1県!

 やはりエ列は分が悪い。
 次に五十音別の苗字数。ある苗字ランキングの索引にある約5千苗字を数えてみた。

 ア:229 カ:385 サ:167 タ:304 ナ:217 ハ:182 マ:176 ヤ:181 ラ:0 ワ:55
 イ:339 キ:143 シ:250 チ: 27 ニ: 98 ヒ:136 ミ:184 リ:5
 ウ:133 ク:138 ス: 98 ツ: 86 ヌ: 12 フ:171 ム: 51 ユ: 30 ル:0
 エ: 56 ケ: 2 セ: 69 テ: 41 ネ: 6 ヘ: 6 メ: 5 レ:0
 オ:336 コ:230 ソ: 40 ト:137 ノ: 46 ホ: 68 モ: 95 ヨ: 96 ロ:0

 ラ行がほとんどないのは、しりとり遊びでご存知の通り、元からラ行で始まる日本語が少ないからだろう。そのラ行を除くと、やはりエ列が押し並べて少ない。中でも「ケ」「ネ」「ヘ」「メ」の少なさが目立つ。「ネ」「メ」はそもそも表す漢字が少ないので不思議はない。だが「ケ」で始まる漢字はいくらでもある。「ヘ」は「ケ」に比べるとだいぶ少ないが、それでもやはりかなりある。
 漢字があるのに苗字が少ない。これにはワケがありそうだ。

 そこで「ケ」と「ヘ」で始まる訓読みの主な漢字を挙げてみる。訓読みで表す言葉は即ち古来からの日本語だ。

 け(げ):「毛」「汚れ」「消す」「削る」「貶(けな)す」「煙」「獣」「蹴る」「険しい」。古くは「怪」「異」も「け」と読んだ。
 へ(べ):「屁」「辺」「部」「塀」「臍(へそ)」「蔕(へた)」「隔てる」「紅」「蛇」「諂(へつら)う」「謙(へりくだ)る」「減る」「経る」。

 主な漢字を挙げてみたのだが、「ケ」はほとんど全て、「へ」も大半がマイナス方向の言葉だ。

 ちなみに同じエ列でも苗字が比較的多い「え」だと、「江」「柄」「兄」「重」「抉(えぐ)る」「餌」「枝」「蝦(えび)」「夷(えびす)」「笑む」「鰓(えら)」「偉い」「選ぶ」「得る」「獲る」。また「て(で)」は意外に少ないのだが、「手」「寺」「凸」「衒う(てらう)」「照る」「出る」。決してマイナス方向ばかりでない。むしろプラス方向が多いぐらいだ。

 「け」と「へ」の漢字をよくみると、それぞれ「忌むべきもの」「取るに足らないもの」が多い。古語には疎いので断言は避けるが、恐らく「け」と「へ」の音自体に、そういう意味があったのではないだろうか。ならば苗字に使われないのも当然だ。



 話を「平成」に戻そう。
 丸谷氏は〈不景気、大地震、戦争とろくでもないことが続くのはこのせいかも〉と書き、〈法律を手直しして改元すべき〉と訴え、しまいには年号廃止論にまで言及している。

 先に書いた通り、私はエ列音すべてが悪いという意見には賛成できない。(悪いのだったら「てんのう」などという言葉も考え直さなくてはいかん!)
 だが、「へ」は良くない。「へま」「へぼ」[へどろ」「へりくつ」「へなちょこ」「へっぴりごし」・・・「へ」は今なお威力充分。バリバリの現役なのだ。そんな音で始まる言葉が年号に相応しいとは思えない。(でも「へいか」も「へ」から始まるんだよね・・・どうしよう)

 それから〈エ列音が四つ並ぶ〉ということはさておいても、「ヘエセエ」という言葉はやはり間抜けで締まりがない。「ヘイセイ」と無理に発音してみても、ちょっとは締まった感じにはなるが、やはり腰の軽さは拭えない。まるで今の日本を象徴しているかのようだ。

 言葉の中には言霊が宿る。・・・ピンと来ない人も多いかもしれない。だが、繰り返し使われる言葉が人間の心理に与える影響力と書き改めれば、大方納得するだろう。
 言葉はイメージを喚起する。始めて耳にするとき、始めて声に出すときは意識の上にイメージを喚起する。だが、何十回、何百回と耳にし声に出すうちに、ある種の言葉は意味を失い記号のようなものになる。そしてイメージが喚起される場所は意識から無意識の領域に移行する。そして言霊が誕生する。
 年号は時代を表す言葉。そこに生きる全ての人間にかかわってくる。ゆえに、ここに宿るであろう言霊の威力は計り知れない。だから多くの国では単なる数字で時代を表し言霊を避けてきた。また年号を使う日本でも、凶事があるごとに年号を変えてきた。言霊の威力を知っていたからだ。

 恐らく平成の年号を決めた人々の頭には、言霊のことなど全く無かったのであろう。筆で書かれた「平成」の二文字を見て、真っ直ぐ芯を通して末広がりなどと喜んで、それで決めしまったのであろう。丸谷氏の書くところによると、年号決定の懇談会で東洋思想の権威が「平成」に猛反対したらしいとのこと。だが残念ながら受け入れられず、そして時代は「ヘエセエ」になった。

 天下泰平への願いは昔も今も変わらない。2千年の年号の歴史の中で、平成以前に「平」の字が使われたのは7度。しかし「へい」と読むものはそのうち3度。そして頭に「平」の字を使ったのは「平治」のただ1度のみ。しかも平清盛の武力をバックに後白河上皇が好き放題やってた時の年号というミソがつく。つまり「平」家が「治」める世の意・・・マトモな年号とはとても言えまい。
 「平」のみならず「へ」で始まる年号自体、実はこの「平治」のみ。「へ」で始まることを避けてきた。そう考えてもよいだろう。東洋思想の権威とやらが猛反対したのもうなづける。



 件の丸谷氏のように大地震まで引き合いに出すつもりはないが、不景気などは「ヘエセエ」の言霊が引き起こしているように思えてならない。不況は構造の問題だが、不景気は精神の問題。ダメだダメだとシラケているばかりで、何の行動も起そうとしない。自分も社会の一員のくせにひとごとだと思い、何の責任も感じない。自分の身の丈以上のことについては、深く考えようとすらしない。老若男女政官民、全ての日本人が「ヘエセエ」の言霊に蝕まれてしまっているのではないだろうか?

 元号法を変えなければならないが、今さら維新政府の意向に沿って作られたであろう「一世一元の制」などにこだわる必要もあるまい。私も改元すべきだと思う。改元すれば今上の明仁陛下が、将来「ヘエセエ天皇」になってしまわれることもない。

 改元が多くなると暦として使いにくくなる。それはもっともだ。
 ならば、いっそこの際、皇紀を正式な歴に採用してみてはどうか?初代神武天皇から数える皇紀。今年は皇紀2664年。誰が名付けたのかも知れぬ年号などより、この方が素直に受け入れられる。

 ついでに書けば、新たな年号はぜひ、明仁陛下のおことばとして聞きたい。さえない官房長官なんかから聞かされるのは、もうご勘弁!



 最後に。
 実は平成の言霊なんかより、ずっと深刻な言霊が身近に存在している。
 それは平和の言霊。そう、「平和」も同じく「へ」の音で始まるのだ。

 終戦から約60年。日本は平和主義を標榜し、欧米とは違う存在感を世界各国に示してきた。戦前の過ちを繰り返さずに平和を求める強い信念として、世界各国に信頼されてきた。
 だが、その信念は確固たるものではなかった。アメリカの誘惑や北朝鮮の牽制によって、簡単に揺らいでしまう程度のものだった。

 あれだけの修羅場をくぐり抜けて体得した平和主義だというのに、なぜそれを信じることが出来ないのか?
 真の平和主義はどんな武器よりも、どんな外交戦略よりも勝ると、なぜ世界に訴えることが出来ないのか?

 もしかしたら、「へ」の音が「平和」に頼りない印象を与えてしまっているのではないだろうか?「へ」に宿る言霊のせいで、日本人は平和を信じ切ることが出来ないのではないだろうか?
 戦争が無く世界の皆が互いを尊重し穏やかに共存共栄している世界・・・・・・この理想世界を表現する言葉として、「平和」はちょっと役不足なのかも知れない。

 終戦から約60年。
 身を以って戦争を知る者が社会から去りつつあるいま、
 「平和」に代わる強く頼もしい言葉を、
 揺らぎのない精神と勇気をもたらす言霊が宿ってくれる言葉を、
 探し求めるべきなのかもしれない。


〔※1〕〈 〉内:丸谷才一「袖のボタン」、『朝日新聞2004年5月4日<西部本社第10版20面>』(朝日新聞社、2004)より引用。以下同様。


【参考資料】
『日本姓氏紋章総覧』(1993、新人物往来社、1993年11月7日発行)

『NOBI WORLD NETWORK』>ノビ・カレンダー>年号対照表(2004、株式会社ノビシステムズコーポレーション、2004年5月12日掲載版)[http://www.nobi.or.jp]

買えない心

 元ライブドア社長・堀江氏が外国人記者クラブで検察批判・・・とテレビニュースが報じていた。

 テレビが報じる断片しか聞いていないので、彼の主張についての言及は避けておく。
 ただ、お金では買えない心があることは解ってきたご様子。めでたし、めでたし・・・かな?

 というわけで以下、2006年1月25日に『裏凡identity market』に発表した文章の再録デス。

*--------------------------------------*


遂に逮捕されたライブドアの堀江社長。
彼といえば既に代名詞と化したこの言葉・・・「人の心はお金で買える」だ。

彼は本気でそう考えていたのか。
いや、「お金」で買えない清らかな心があることは、本当は解っていたのだろう。

だが、「お金」で買えない汚れきった心もあることを、彼は解っていなかった。
知ってはいても解ってはいなかった。
そんな気がしてならない。



もし人の心が「お金」で買えるものであったならば、
この世の戦争はもっと多かっただろうか?
それとも少なかっただろうか?

そんな愚問を、
ふと、考えた。

射撃は退場願いたい。

 以下は2004年8月20日に『裏凡identity market』に発表した文章の再録です。再録にあたり内容を一部追加手直し致しました。

+--------------------------------------+


レスリングやジュードーはいいだろう。
フェンシングやアーチェリーも認めよう。
だが射撃だけはお断り。即刻退場願いたい。



いかに言い訳しようとも、銃は戦で使うもの。
世界中に銃がはびこり、
少年までもが銃を持ち、
そして数多の戦場で、多くの命が散っている。
銃で撃たれて散っている。

いかに言い訳しようとも、銃は相手を殺すもの。
世界中に銃が出回り、
少年までもが銃を持ち、
そして数多の街角で、多くの命が散っている。
銃で撃たれて散っている。

そして今なお、散っている。



剣も弓矢も武器としては過去のもの。
ゆえにフェンシングやアーチェリーは問題ない。
だが銃は今でも現役だ。
現役どころか銃で殺られる人間が、今なお一番多いのだ。



警察が銃を持つ事は否定しない。
「射撃」という競技の存在も否定しない。
だが世界が注目するオリンピックで銃が使われ、子供も見ているテレビに映され、そして勝者がメダルをもらう・・・毎年何十万もの命が銃によって奪われているというのに、それと引き換えに何百万もの悲しみが銃によって押し付けられているというのに・・・道義のかけらもありゃしない。



銃の被害が絶えるまで、射撃は退場願いたい。
オリンピックの舞台から、自ら退場願いたい。
射撃の選手は「エリート」揃い。解らぬわけはないだろう。



それでも射撃をやるのなら、醜い銃を何かで隠せ!
あるいはテレビでモザイクかけろ!
銃に怯える子供たちへのせめてもの配慮としてな。

アジアハイウェイ

 以下は2004年6月3〜5日に『裏凡identity market』に発表した文章の再録です。
 再録にあたり前中後3編を統合し加筆修整。またリンク先の説明を最新のものに改めました。

 道路とは何か?本来何であるべきなのか?
 道路特定財源の論議がかまびすかしい今、皆さんにも考えてもらいたいです。

*--------------------------------------*


 アジアハイウェイをご存知だろうか?
“昔教科書に書いてあったような気がするけど・・・”
 実態は知らない人が多いのではないだろうか?

「アジアハイウェイ」はアジア32ヶ国を結ぶハイウェイ。1959年に国連が提唱、60年代末より各国が協力し整備を進めてきたアジア最大のプロジェクトだ。ベトナム、カンボジア、スリランカ、カシミール、アフガニスタン、イラン・・・アジアが戦争に明け暮れた70-80年代は存続自体が危ぶまれた。しかし情勢が一応の収まりを見せた80年代末にプロジェクトが再浮上。中国、ロシア、韓国、北朝鮮等も加わり、現在は1号線(AH1)から87号線(AH87)まで欠番除き55本、総延長14万kmにも及ぶ壮大な国際道路網となっている。
 だが残念なことにアジアハイウェイへの日本人の関心は低く、政府も付き合いで金は出すけど参加はしないというひねくれた態度をとり続けてきた。結果日本は他の島国(インドネシア、フィリピン、スリランカ)も含め全アジアが参加するこのプロジェクトの唯一の不参加国〔※1〕となり、今さら脱亜入欧かい?とアジア各国の失望を買う結果となっていたのだ。

 昨年11月、ようやく日本も参加を表明。そして今年の4月26日、国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)総会にて正式に調印。アジアハイウェイの仲間入りを果たした。
 今までのドライな態度にもかかわらず、大国・日本の参加は熱烈な歓迎を以ってアジア各国に迎えられた。その歓迎ぶりは、今回の総会でアジアハイウェイ1号線(AH1)の起点を東京に移すという栄誉を授かったということからだけでも分かるだろう。

 アジアハイウェイは国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)が主導する立派な経済プロジェクトだ。
 だが、アジアハイウェイは産業道路ではない。アジアハイウェイは心を結ぶ希望の道路。アジア各地の人々の、平和と共存への願いをこめた象徴だ。
 象徴だからプロジェクトとしては道は作らない。〔※2〕既存の道路に「アジアハイウェイ(AH)」の名を付けるだけ。近道せずに各国を結ぶ。フェリーで渡る区間もある。2車線・舗装という最低基準以下の道路が総延長の約1割。中国には未整備区間が多く残り、北朝鮮に至っては道路の状態すら公表していない。
 アジア各国の足並みも揃っているわけではない。理由はよく分からないのだが、今回の総会でも6ヶ国が調印を保留している。シンガポール、マレーシア、フィリピン、トルクメン、そしてアジアハイウェイ1号線(AH1)のルート上にある北朝鮮とバングラディッシュ。特にASEAN中核3国の保留は気になるところだ。〔※3〕
 それでも日本の調印を含む今回の総会の決定によって、プロジェクトは本格的に動き始めたといってよいだろう。

 残念ながら未だアジアハイウェイに対する日本人の関心は低い。ニュースの扱いも小さいし、資料すらロクに見つからない。道路作りを経済振興や雇用対策としてしか考えられない日本人らしいと言えばそれまでだが、アジアの希望の道にも少しは目を向けてもらいたいものである。

 最後に、日本が起点となったアジアハイウェイ1号線(AH1)の経路を紹介しておく。日本、韓国、北朝鮮、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、バングラディシュ、インド、パキスタン、アフガニスタン、イラン、トルコ。14ヶ国2万kmを経てヨーロッパに続く、アジアハイウェイ最長の道だ。
 壮大な風景、さまざまな民族、いにしえの遺跡、戦いの歴史、そしてひとつになったアジアの未来・・・想像力をせいいっぱい膨らまして、まだ見ぬ道を走って欲しい。やがてアジアハイウェイの意味が、そして日本が(たとえフェリーでであったとしても)アジアハイウェイにつながる意味が、自ずと見えてくるだろう。

AH1:
東京―福岡―(フェリー)―プサン―ソウル―ピョンヤン―瀋陽―<整備中>―北京―武漢―広州―<整備中>―南寧―ハノイ―ホーチミン―プノンペン―バンコク―ヤンゴン―ダッカ―カルカッタ―ニューデリー―イスラマバード―カブール―テヘラン―アンカラ―イスタンブール―トルコ・ブルガリア国境(ヨーロッパ・ハイウェイへ接続)

詳しくはUNESCAPのホームページに掲載されている地図を参照されたし。トップページの左上のリンクから「The Asian Highway」>「Map」と進むべし。また国別の詳細なルートや距離は「Asian Highway Database」にある。
一応直リンも置いておこう。ただしよくアドレスが変わるのでリンクが切れていたらトップページから進んでくだされ。
http://www.unescap.org/ttdw/common/TIS/AH/maps/ah_map_2007.jpg


〔※1〕正確には東ティモールとブルネイの2つの小国も参加していない。

〔※2〕もちろん道路整備の根拠として「アジアハイウェイ」の名が使われることはある。

〔※3〕ロシアとインドが調印していないと一部マスコミで報じられたが、これは完全な誤報。事務手続きが遅れただけで翌日にちゃんと調印している。


【参考資料】
United Nations Economic and Social Commission for Asia and the Pacific(UNESCAP)The Asian Highway
(Copyright© 2004 UNESCAP、2004年6月3日掲載版)[http://www.unescap.org/ttdw/index.asp?MenuName=AsianHighway]



*--------------------------------------*

以前UNESCAPのホームページに掲載されていた詳細版の地図が見当りません。ウィキペディアに同等の地図が掲載されていますので、とりあえずコチラのリンクも貼っておきます。
ウィキペディアのアジアハイウェイのページ

なお調印を保留した6ヶ国がその後調印いたか否か、ちょっと調べてみたのですが、確実な資料を見つけることが出来ませんでした。

桜翁

 以下は2006年3月30日に『裏凡identity market』に発表した文章の再録です。

*--------------------------------------*


桜を見ると小学校の入学式を思い出す。
いや、三十路も終盤に入ろうかという齢の身。付き添っていたであろう母の存在すら最早記憶にない。思い出すのは入学式ではなく、その時に咲いていた桜。やわらかな陽差しのもと、まさに「吹雪」と呼ぶに相応しい満開の桜が散る中を歩いたこと。それだけだ。

あれから30年。31回目の桜が、いま、咲いている。
そして、31回目の桜を、いま、オレは迎えている。

31回の桜。これはすなわちオレが実感できる時の長さだ。
そして、ふと思う。あのときの桜は、戦後31回目の桜でもあったのだと。

遥か昔になってしまったと、戦争体験の風化を憂うべきなのか。
それともつい最近の出来事だったと、軍国主義の再燃を憂うべきなのか。
正直いって分からない。

ただ、思った。
あなたにとって遥か過去ですか?それともつい最近ですか?
今年も一年坊主の頭に盛大に吹雪を散らすであろうあの桜の翁に尋ねてみたいと。

古田選手会長

 以下は2004年7月29〜30日に『裏凡identity market』に発表した文章です。
 古田選手兼任監督の引退・退任に寄せて、ここに再録いたします。
 再録にあたり前後編に分かれていたものをまとめ、併せて加筆修整しました。



 2000本安打達成後、兼任監督となってからは選手としても監督としても結果を残せなかった古田氏であるが、選手会長時代に果たしたプロ野球発展への唯一無比の貢献は、今後も記憶され続けるべきであろう。
そして90年代、よもやのスワローズ最強時代における活躍は、積年のスワローズファンの私にとっていい思い出であり続けるであろう。

(ほんとはまだ2試合、最下位脱出をかけた大事な横浜戦が残っているけど)
古田さん、ありがとう。おつかれさまでした。

*--------------------------------------*


 球団合併・リーグ再編問題に揺れるプロ野球。
目先のテレビ放映権料しか見えぬ球界のアホさ加減には呆れるばかり。わざわざ取り上げる価値もないだろう。
・・・・・・と無視を決め込んでいたが、この人の獅子奮迅ぶりに感銘を受け、ようやく筆を執ることにした。
「この人」とは勿論、選手会長の古田敦也氏のことだ。

 古田氏はご存知の通りスワローズの黄金時代を支えた名捕手。90年の入団以降、5度のリーグ優勝、4度の日本一に貢献。91年には首位打者、93年、97年にはMVP(最優秀選手賞)獲得。オールスター選出15回。ついでに元『プロ野球ニュース』キャスター・中井美穂氏と結婚。・・・・・・実力人気ともども、まさにプロ野球界を代表する選手といってよいだろう。
 さらに古田氏は98年以来、日本プロ野球選手会の会長も務めてきた。それも形だけの会長でないことは、歴代会長初の2期6年を託された事からみても明白だ。

 そこへ今回の再編問題。選手会側の代表として連日マスコミに登場しているのはご存知の通り。ただでさえ会長1人に対し副会長10人というこのイビツな組織。彼の責任感も手伝い、ひとり矢面に立ち続けている。
 高校野球等の経験がある人でないと実感できないと思うが、真剣な野球におけるキャッチャーのポジションはとんでもない激務だ。「ID野球」などと言わずとも、試合に備えて勉強しなければいけない事も多い。しかもプロ野球の試合は週6日で移動もある。古田氏は間もなく39才になろうというベテラン。選手を勤めるだけでもキツイはずだ。本当に頭が下がる。

 さらに驚くべきことに、この状況にあって古田氏の打率は現在3割5分7厘。これまた35才のベテラン、ドラゴンス立浪氏と首位打者争い。もし首位打者を獲ったら最年長記録を3年も更新することになる。
 しかも再編問題が浮上してからというものの、意地を示すかのように鬼の如く打ちまくっている。今月に至っては打率4割5分。月間MVPも狙えるほどの活躍ぶりだ。再編問題に揺れた今月、選手会長が月間MVPを獲る事の意味の大きさは、古田氏自身もよく解っているだろう。いや、それを狙っての打ちまくりなのかも知れない。

 思い当たる節がもうひとつある。読売以外のセ・リーグ5球団はリーグ合併反対だと言っているが、球団社長の過去の発言から考えても、ヤクルトスワローズは必ずしも1リーグ制に反対していない。いや、それどころか西武の堤義明オーナーの言う「もうひとつの合併」の当事者になるかもしれぬとオレは思っている。(噂されている千葉ロッテよりも西武との合併が怪しい)
 古田氏も当然、球団の動きを警戒しているだろう。合併を阻止するためには、まず実績を残すこと。順位や動員数を上げ、球団側に隙を見せぬことが大切だ。
 彼の活躍の原動力はここにもあるのではないだろうか?

 選手会会長として選手の先頭に立ち組織に立ち向かう。しかも本業でもしっかり成績を残し、ファンや他の選手を勇気づける。まさに男気。惚れ惚れする。頑張って欲しいと心から願う。
 そして実は古田氏と首位打者を争っている立浪氏も選手会の役員。しかも10人の副代表の中でも理事長を勤めるナンバー2。つまりセ・リーグの首位打者争いは会長vs理事長の対決になっているのだ。この場を借りて立浪にもエールを送っておこう。

 余談ながら野球で一番楽なポジションはサード、次に楽なのがファーストである。このポジションにあり、東京にいる時間が長い在京球団に在籍し、知名度もあるベテラン・・・・・・本来ならこういう選手が古田氏をフォローすべきだと思うが、これに該当するヤツラの動きの鈍さには失望するばかりだ。特に、怪我で戦列を離れ時間に余裕があるはずの某選手会副会長。彼は何をしてるんだろうねぇ。「男気」をウリにしてるんじゃなかったっけ?

 古田氏は今夜、『朝まで生テレビ!』に出演するという。スワローズは今日から名古屋でドラゴンズ3連戦。当然今日も明日も試合がある。ということは、試合終了後、新幹線で東京のスタジオまで駆けつけ、土曜朝また名古屋にトンボ帰りするというのであろうか?


【参考資料】
『JPBRA 日本プロ野球選手会 公式ホームページ』(2004、JPBRA、2004年7月29日更新版)[http://jpbpa.net/]

『Swallows online -Yakult Swallows Official Web Site』>全選手・スタッフデータ(2004、Yakult Swallows 株式会社ヤクルト球団、2004年7月29日更新版)[http://www.yakult-swallows.co.jp/]

『サンスポ.com』>野球>ヤクルト(1997-2004 SANKEI SPORTS、2004年7月29日更新版)[http://www.sanspo.com/]

『スワローズ日記』(1995-2004、y_nishi、2004年7月29日更新版)[http://www.netjoy.ne.jp/~y_nishi/swallows.html]

肥薩線

 以下は2004年3月18〜21日に『裏凡identity market』に発表した文章の再録です。再録にあたり<自宅編>を<提言編>に統合。併せて脚注等を加筆修整。また参考資料のリンク先を最新のものに改めました。

*--------------------------------------*


<八代〜人吉編>

 肥薩線を走る。
 八代から人吉を経て吉松そして隼人へ・・・・・・その名の通り肥後と薩摩を結ぶ。途中、人吉〜吉松間は峠越え。スイッチバックとループを繰り返しながら急勾配を登り降り。そしてトンネルの連続。先人の苦労が偲ばれる鉄道だ。
 明治末期の開通当初は南北九州を結ぶ唯一の鉄路として大いに賑った。特別装備のデゴイチが活躍していたという。
 昭和の始め、水俣回りの鹿児島ルートが開通。早くも主役の座を譲った肥薩線は、以後宮崎方面への交通のみ担う。それでも一時は特急も走る活躍を見せた。が、道路網が整備されるにつれ徐々に廃れゆく。
 そして平成。難所加久藤越えの高速道が遂に開通。人吉―吉松間は最後の急行も廃止され、今や1日4往復の単行ディーゼルが走るのみ。輸送手段としての役目をほぼ終えた。

 八代発14時07分。川沿いの村落に立ち寄りながらトコトコ走る。
 初春の陽光ひかる球磨川が眩しい。
“三大急流”と呼ばれるわりには悠々とした流れのこの付近。かつては木材を運ぶ筏が頻繁に下っていたという。緑水湛えるダム現わる。日本初の撤去決定で近頃話題になった荒瀬ダムだ。このダムが撤去されれば、支流の川辺川は水源から河口までダムの無い川となる。もちろん川辺川ダムが建設されなければの話だが・・・・・・。

 人吉までは1時間ちょっと。だが人吉での連絡が悪いので、球泉洞駅で途中下車。
 次が来るまで30分。ビール片手に川を眺める。

 15時50分人吉着。まだ1時間20分もある。再び途中下車。駅近くの青井神社に寄る。
 築四百年という社殿や楼門を差し置き、境内を歩くシャモ鶏の美しさに見惚れてしまう。

 17時10分。ようやく人吉発。
 古びたディーゼルカーを期待したが、入線してきたのは「いさぶろう・しんぺい号」。昼間は500円の特別料金を取る観光列車として走る車両だ。デザインに凝るのが好きなJR九州らしく、赤茶に金の外装と和風木目調の内装センスは悪くない。九州新幹線の開業に合わせ先週投入されたばかりの新車両だけあって、まだ傷どころか汚れすらついてない。

 かつての栄華へ敬意を表するものなのだろう。
 だが、何かが違う、と感じるのだ。


<人吉〜吉松編>

 17時10分人吉発。乗客約20余名。大半は観光客のようだ。オフシーズンの平日の割には多い。
 駅を出るとすぐに急勾配。ディーゼルエンジンがうなりを上げる。

 そして大畑駅着。「大畑」と書いて「おこば」と読む。明治42年開業の日本初のスイッチバック駅。木造瓦屋根の駅舎と用途不明の石造小屋に歴史を感じる。スイッチバックのため運転手が反対側に移る。1両なので楽々移動。停車時間も僅か2分だ。

 三段式なので発車後すぐにもう一度スイッチ。そしてこのスイッチの前後でトンネル2つを抜けつつループも果たしている。まさに鉄道技術のオンパレード。鉄路敷設が国策だった時代の情熱を感じる。
 ループが終っても、乗ってて分かる程の急勾配がしばらく続く。

 やがて峠の矢岳駅に着く。やはり木造瓦屋根の立派な駅舎は引戸まで木造り。明治の開通当時のものと聞く。構内には70年代まで活躍していたD51蒸気が展示されているが、短い停車時間では車窓から眺めるのみ。

 矢岳駅からは下りに転ず。どうでもいいことだが、この区間の眺めは旧国鉄選定の「日本三大車窓」なのだという。次の真幸駅はまたもやスイッチバック駅。そしてまたもや古びた木造瓦屋根。この肥薩線がかつて日本の背骨だった時代を物語る。大畑駅と違いここはスイッチのない通過線があるはずだが、急行が廃止された今となっては無用の長物。スケールの小さい三段スイッチをセコセコと行う。

 さらに急な下り勾配を抜け、18時07分吉松着。ここから先へ行くと帰りの列車が無い。かつて南九州の鉄路の要として賑わったという構内を見る間もなく帰りの切符を買い求め、折り返し18時13分発人吉行き最終列車で帰途につく。これだけ慌ただしく折り返すくせに人吉ではまた1時間半も待たされる。ローカル線とはいえ、どうにかならないものかねぇ。


<提言編>

 22時20分熊本着。帰宅。
 ひと息ついて、早速、作文にとりかかる。
 だが、どうも筆が進まない。
 なぜ「何かが違う」と感じたのか?・・・・・・そこで思考がストップしてしまうのだ。

 そこで一旦筆を置き、資料をあたり歴史を紐解く。

 冒頭に書いた通り、難工事の末開通した肥薩線。
 明治、大正、昭和、平成。はじめは主役、主役を譲った後は脇役を演じ続けた。日本の近代化に貢献し続け、しかし自らを近代化することなく老いてゆき、表舞台から静かに去った。
 終戦直後の混乱期に起きた大事故。70年代まで活躍した蒸気機関車。高度成長を駆け抜けたディーゼル特急。苦難続きの建設と運行に情熱を注いできた人々。そして豊かな暮らしを夢見て進む乗客たち。・・・・・・肥薩線は近代日本の歴史を見守り続けてきた。駅舎やホームの寂れつつも重厚な風格はその何よりもの証しだ。

 しかし今ここを走る「いさぶろう・しんぺい号」にはそれがない。やたら明るい車内灯。プラスチックのような質感の内装材。意図不明な和風デザイン。全席据え付けの食事テーブル。ご丁寧にテレビモニターまで付いている。まるでファミレス。センスが悪いわけではないのだが、風格ある駅舎やホームとは全く釣り合わない。いや釣り合わないどころか風格を汚し、歴史を蹂躙しているようにさえ思える。

 これからも鉄道本来の目的、すなわち輸送で生きるというのならそれでもよい。実用に即した進化は歴史の新たなる1ページ。決して過去の否定ではない。
だが肥薩線に許された道は観光化のみ。鉄路華やかかりし頃の遺産を守り、時を止めて生きていく道のみなのだ。しからば過去に敬意を払い、過去を忠実に再現すべく努力すべきではないのか。
 遺産を壊して作ったものを、「これが遺産です」と騙して儲ける。・・・・・・すなわちこれを詐欺という。

 駅舎、ホーム、線路・・・・・・百年の栄枯盛衰を生きてきた肥薩線の遺産は素晴らしい。停車時間の短い夕方の列車ではホームに降りることすら叶わなかったが、それでも充分、歴史の重みを実感できた。
だが、鉄道の主役はあくまで列車なのだ。その列車が本物どころか複製ですらない作り物とあっては、遺産の魅力も台無しだ。

 やはり「本物」を走らせるべきだろう。すなわち蒸気機関車だ。さほど難しい事ではない。矢岳駅に眠る“デゴイチ”を復活させればよい。同じ駅に眠っていた“デゴイチ”より旧式の“ハチロク”〔※1〕は、既に「あそBOY」として復活している。「あそBOY」が走る熊本・阿蘇(宮地)間は肥薩線同様スイッチバックもある難所。この区間を走らせることが出来るのだから、肥薩線の峠越えも問題ないはずだ。そもそも人吉までは、今でも時々“ハチロク”が走っている。それを延長するだけでもよいのだ。〔※2〕

 運行区間はどうせヤルなら日本最長。人吉〜吉松などとセコイことはせず、肥薩線開通当初にならい鹿児島まで走らせる。九州新幹線と同じ八代〜鹿児島。つまり明治の息吹感じるSL・肥薩線と一番新しい新幹線を往復セットにする。これならば土日2日かけで一往復すればよい。人吉、えびの、霧島、桜島・・・・・・沿線の観光資源も申し分ない。鹿児島空港にもつながる。ここまですれば九州外、いや海外からも観光客を呼ぶことが出来るはずだ。

 運行日は「あそBOY」と同様、週末と春夏休み。上記の通り2日かけて一往復。その他は現状通りディーゼルカーを走らせる。ただしこれも「本物」にする。近年まで運行されていたキハ 52単行車両を国鉄時代の朱色に塗って復活させれば、郷愁誘う車両として人気を博すに違いない。

 遺産として生きるのならば遺産に徹するべし。遺産の価値は「いかに本物か?」にしかないのだから。


[10/7追記]
再録してみて気付いたのだが、この紀行文(?)、完璧なまでに「ひとり旅」に仕立てられているわな。
ネット上でも公私混同は避けるべしがモットーゆえ私的な友人関係は基本的に登場させないのが私の常なのであるが、まる一日旅に付き合わせておきながら存在無視というのはチト酷い。
3年経った今さらながらひとこと。楽しかったですね。ありがとう!


〔※1〕オヤクソクだが、もちろん走り屋ご用達のあのクルマではない。

〔※2〕この文章を書いた翌2005年、“ハチロク”老朽化のため「あそBOY」は廃止された。だが復活を望む声に押され、2009年より再び“ハチロク”が肥薩線を走ることになった。ただし区間はやはり熊本〜人吉とのこと。なんと大正生まれ。博物館外を走るSLの中ではおそらく日本最古の“ハチロク”さん。全面改修をしてもやっぱ無理なんかねぇ。鹿児島までの運転は。


【参考資料】
『JR全線全駅』(弘斉出版社、1994)
『鉄道ジャーナル別冊 日本の鉄道 全路線7 JR九州』(鉄道ジャーナル社、1989)
『国鉄全線大百科』(実業之日本社、1980)
『時刻表(1981年7月号)』(日本交通公社出版事業局、1981)
『よかとこBY』>九州観光&温泉>熊本南部>大畑駅(株式会社システム工房、1997-2004、03.10.28更新版)
『雑学の博物館』>鉄道写真館>肥薩線(S-Wakamatsu、1997-2004、04.3.1更新版) →サイト移転→ 『雑多な写真展』>鉄道写真(駅);JR>JR九州;肥薩線(S-Wakamatsu、1997-2004、2004年3月1日更新版)
『Enjoy Train!』>この先の九州へ>「いさぶろう」「しんぺい」の旅("Hash"、2003-2004、2003年1月9日更新版) →リンク切れ
『The Room of Naturalist』>SL Fantasy・煙の詩>肥薩線・大畑のD51(大石幸雄、2004年3月17日更新版)
『舞香の Mixing Room』>寝台列車>大畑駅/矢岳駅/真幸駅(1998-2004、Mayumi Ueda、2004年3月16日更新版)
『時刻表博士まっこうくじらのウェブサイト』>抹香鯨の鉄道事故年表>1940〜1959年(2000-2004、まっこうくじら、2004年3月15日更新版)

続きを読む >>

代議士の性

 以下は2003年8月25〜27日に『裏凡identity market』に発表した文章です。
 再録にあたり3編に分かれていたものをまとめ、併せて加筆修整しました。

 なおこの文章をいま再録した意図はもちろんありますが、
私は野田毅議員を支持しているわけではありません。
 念のため表明しておきます。

*--------------------------------------*


「こんどウチの店でパーティあるから遊びに来ない?」
 レストランバーをやってる知り合いの元気ネエチャンから誘われた。タトゥーが眩しい元気ネエチャン。お客サンも「昔はヤンチャやってました」ノリが集まるナイスな店だ。

 そんな姉キの店のこと。ランチキチキブンブンブンな悪ノリパーティだろうと覚悟(?)をキメて行ってみると、なんか様子がチト違う。町内会の催しであるかの如くオバチャン連がバーベキューの仕込みをしている。ズラリと並んだ長机にはビール片手にガハハと笑うオッチャン連中。それに混じっていつもの悪ガキ&元悪ガキが行ったり来たり・・・。

 はて?と店内を見回すと、黒々と書かれた看板に「野田毅を囲む会」!(だったっけな?)
「姉キ!応援しとるの?」
「えへっ、面白いでしょ」

 思わず「野田毅って今どこの政党にいるんだっけ?」とツッコミ入れたくなった。
 でも国会議員のセンセイを間近に見るチャンスなど滅多にない。ましてや当選回数10回のベテラン議員にして旧保守党党首。全国区の知名度を持つ“大物代議士”だ。
「オレ野田毅に投票した事1回もないけどそれでもいいの?」
「全然オッケー!」

 ホホウ。面白れえじゃないか!
 さあ、「会費」を払ってイザ出陣っ!



 さてまずはビール片手にバーベキュー。店の常連サン達とテーブル囲んでテキトに談笑。腹ごしらえオッケーってところで、後援会長とおぼしき御仁のご挨拶が始まった。フムフム、やっと状況がつかめてきた。どうやら若手中心の野田毅後援会があって、今夜はその会のパーティらしい。

 秘書のご挨拶を挟み、いよいよ野田毅登場!テレビで見た通りの顔。「若手」相手のパーティだけあってポロシャツ+スボンのカジュアルな出で立ちだ。

 マイクの前でご挨拶。当り前ながら何の当り障りも無い無難な内容。サラリと終了。
 テーブル回り。ひたすらニコニコ顔。さすが政治家。これもサラリ。
 んでもって自分のテーブルに戻り、さっきの秘書サンや後援会長たちと飲み始めた。

 う〜む。これじゃあつまらん!
 よし!本人と直接話してみよう!

 といってもいきなり突っ込んでいくのは、いくら相手が「代議士」といえども失礼だ。まずは秘書サン。野田サンが席を外している間を狙って隣に座る。軽くあいさつ&自己紹介。野田サンの後援会員でないどころか今まで票も入れたことないけどココにいていいですか?と念を押す。大丈夫そうだ。

 そして野田サンが戻ってきた。いよいよチャンス到来だ!



 野田サンが戻ってくると間もなく秘書が席を立った。同じテーブルには他に誰もいない。期せずして2人だけのサシ状態!ラッキー!
 この機会をのがすまいと挨拶もそこそこに本題突入。まずは名刺代わりに『IM』最新号を手渡す。表紙からしてブッシュにケンカ売っている最新号。後でゆっくり読んで下さいナと。

 そして語り合い。
「日本はこのまま暴走するブッシュ政権に追従していっていいのか?独立国家として一線を画するべきではないのか?」と問う。
が、答えは「小泉サンの方針には賛成じゃない」
 野田サン自身の意見を聞き出そうとしても、小泉政権の話や一般論でさらりとかわし、聞き役に回られてしまう。

 やっぱ百戦練磨の老政治家。かなわんなと思いながらも話を続ける。だが、そこでふと気付いたのだ。聞き役に回った時の野田サンはやけに楽しそうだと。
 それなら遠慮はいらない。オレの持論を語りまくった。



 結局パーティが終るまでの最後のおよそ20分。「一番楽しみにしている」と秘書が言っていたカラオケも歌わず、ずっとオレの話に付き合ってくれた。(アリガトウ)

 考えてみれば「代議士」とは国民を代表して議論をする人。国民の意見を聞き取り、それを議会に持って行く人なのだ。決して民を教え導く指導者ではない。
 だから聞き役になる方が自然なのだ。それが代議士本来の性なのだ。
 あの日の野田サンは意見を言ってくる「国民」に飢えていたのだろう。いや、あの日だけでなく、ずっと飢えていたのかも知れない。

「政治不信」・・・叫ばれて久しい。
 しかし日本の政治がおかしくなった原因は政治家よりもむしろ国民にあるのではないか?

 選挙に行けばそれで済むと思っている国民。
 それさえも放棄しそれが政治不信の表明だと勘違いしている国民。
 陳情には熱心でも意見を言おうとしない国民。
 政治家が何かをしてくれるのを待っているだけの国民。

 この国はまず国民から変わらなければいけない。
 最近つくづくそう思う。

小泉首相のストライク

 以下は2003年8月7〜10日に『裏凡identity market』に発表した文章です。
 再録にあたり4編に分かれていたものをまとめ、併せて加筆修整しました。

 なおこの文章をいま再録した意図はもちろんありますが、
私は小泉前首相の再登板を望んでいるわけではありません。
 念のため表明しておきます。

*--------------------------------------*


 「夏の甲子園」が始まった。郷里チームの活躍を楽しみにしている人が多い反面、また昼のNHKと新聞のスポーツ欄が占領されてしまうのかとうんざりしている人も多いだろう。
 まあ、とにかく今年も始まった。
 ところが今年の“甲子園始まる”は、トップニュースになってしまった。
 そう、始球式に小泉首相が登場。そして見事ストライクを投げたのだ。
(山なり投球だったけどね)

 「どうせ秋の総裁選に向けた首相お得意のパフォーマンスでしょ」
 今夜のニュースはそんな冷めた論調が多かった。
 確かにそうだ。
 確かにこれは人気取りのパフォーマンスだ。
 しかし、始球式でストライクを投げればビッグニュースになる・・・・・・こういう感覚を持っていることに関しては、首相を評価するべきではないだろうか。

 政治家は民衆を代表して政治を行う。だからこそ、何よりもまず民衆を理解出来なければならない。そして民衆と政治家を仲介する存在=マスコミを理解出来なければならない。これが出来なければ、いくら頭が良くても、いくら根回しが上手くても政治家としては失格だ。
 しかし歴代首相を含め、いったい何人の国会議員が民衆を、マスコミを理解しているだろうか?
 少なくともくだらん“失言”騒ぎを起こすような議員は、全く理解出来ていないと断じていいだろう。
 正直言ってレベルが低い。
 だが低いからこそ、民衆やマスコミを理解出来る政治家は評価するべきなのだ。
 逆に言えば、民衆が正当に評価しないから、いつまでたってもレベルが向上しないのだ。



 小泉首相は私の故郷のスグ隣、横須賀市の出身だ。
 中選挙区時代、彼の選挙区内の主要都市は横須賀、鎌倉逗子、そして川崎。
 横須賀は米軍基地の街。
 鎌倉逗子は“文化人”の街。
 飛び地にして100万都市の川崎は工業地帯、労働者、労働組合の街。
・・・・・・つまり自民党なら誰でも当選出来るような楽勝区ではなかった。いや、それどころか当時は革新勢力の方が遥かに優勢な選挙区だった。
 彼はそんな厳しい選挙区で連続当選を続け、そして首相にまで上りつめたのだ。
(彼は3世議員である。しかし故郷横須賀はともかく、労働者、労働組合の街では2世3世なんて通用しない)
 こんな自民党“大物議員”は他にいない。“保守王国”でヌクヌクと当選回数を重ね、そして首相や大臣になった。そんな議員ばかりだ。

 なぜ小泉首相は革新区で生き残れたのか?
 それはひとえに民衆やマスコミを理解する能力、そしてそれを踏まえたパフォーマンス能力のおかげである。
 20年前、鎌倉の学校に通ってた私は、当時の彼をよく覚えている。住んでたのは隣の選挙区であったし、第一まだ選挙権も持っていなかった。興味があったわけではない。だが彼だけは印象に残っている。ポスターから駅前演説まで、とにかく断然目立っていたからだ。



 あれから20年。彼は当選を重ね、大臣を務め、総裁選に立候補して落選した。その間、「変人」などと呼ばれつつも全国に名を知られる議員になっていった。そして遂に、“小泉ブーム”を巻き起こし総理大臣にまで登りつめた。
 正直言って、私は今の小泉首相を支持していない。特にイラク戦争への支持と自衛隊派遣には断固反対だ。しかし彼は昔も今も変わっていない。相変わらず世論を読む目にたけ、世論に反応して動いているだけだ。そう思う。
 変わったのは世論の方、民衆とマスコミの方だ。
 戦争、派兵、靖国・・・・・・20年前に首相になっていたならば、彼の政策は全く違っていただろう。侵略戦争ですら3割の日本人が賛成する時代だからこそ、彼はあのような政策をとるのだ。もし5割の日本人が北朝鮮との戦争を望めば、彼は間違いなく開戦を指示するだろう。

 政治家は民衆を代表して政治を行う。当り前の事だが、彼はその当り前の考えを 持っている初の首相である。
 彼が首相になった頃、「衆愚政治」という言葉がマスコミを賑わした。バカな民衆に従って政治を行うとロクな国にならないという意味だ。ここまでバカにされてもヘラヘラしてるような民衆じゃ仕方が無い気もするが、今までの首相は民衆の声を聞く耳など持っていなかった。そして民衆の方も勝手にしてくれる政治に不平を言うだけで満足していた。
 だが政治は変わった。少なくとも首相は変わった。今度は民衆の番だ。

「小泉首相に何を期待しますか?」残念ながらいまだにこんな質問がまかり通っている。
「小泉首相に何をさせたいですか?」であるはずだというのに・・・・・・。
 政治家は民衆を代表して政治を行う。そういう意識がちゃんとあれば、小泉首相は「動かしやすい」と評価できるはずだ。
 ついでに書けば彼は汚職歴が無いのもいい。
(これについても汚職を一時的に批判するだけで、逆に汚職が無い政治家を正当に評価しないから、いつまでたっても汚職が減らないのだと思う)

 とにかく「使える」ヤツだ。
 あとは民衆が彼を使いこなせるかどうか。そこに日本の将来がかかっている。
 次の首相も動かせる政治家である保障はない。
 チャンスは今だ。今しかない。
「始球式でストライク」のニュースを聞きながら、改めてそう痛感したのである。

ムラサキダコ


 以下は2006年3月23日に『裏凡identity market』に発表した文章の再録です。
再録にあたり注釈および写真へのリンクを加えました。

*--------------------------------------*



 先日ふとテレビをつけたら、見覚えのあるタコの姿が・・・。
尖った頭、独特の体色、そしてなにより数メートルもあろうかという、ひらひらと長く伸びた羽衣!
間違いない。数年前、海で泳いでいたら現れた謎のタコだ。
これは観るしかあるまいと、俄然テレビに釘付けに。

ふむふむ。名前はムラサキダコというのだな。
舞台は冬の島根県。ほほう、場所まで近いではないか。ただし季節は逆だけど。
メスは全長50cm以上になるのに、オスは僅か3cm。世界で一番雌雄の大きさが違う生き物だとか。ふえぇ。
ともかくアレはメスだったのだな。

「海底に棲む他のタコと違い、海面近くを漂って生きている。」・・・げっ!弱っていたのではないのか!
「生きた姿を見ることすらむずかしく」・・・。げげっ!そんな珍しいタコだったのか!〔※1〕

いやぁ、チカラ尽きて浜辺を漂っていたと思ったんだよな。動き鈍いからすぐ捕まえられたし・・・。んで頭掴んでくるっと回すと、墨をぼわっと吐いたりして・・・。

泳いだ後は浜辺でバーベキュー!なんてトコロだったから、不気味なんて思わねぇワナ。
「毒のあるタコなんて聞いたことないよな」
〔※3〕
「海の神様からの贈り物だね」
「どうせもうすぐ死ぬんだろうし」

採れたての海の幸は、やっぱ刺身に限るでしょう。
思わぬタコ刺しの登場に、一同舌鼓を打ったのであった。



・・・・・・なぬっ!「食用に適さぬ」とな。れれっ?〔※2〕



〔※1〕
テレビ(ちなみにNHKの『地球!ふしぎ大自然』という番組)では「生きた姿を見ることすらむずかしく」と紹介されていたのだが、あらためてネットで調べてみたら結構多くの発見例アリ。写真も見つけた。
『日本水中映像(株)』>新着情報>2006年>3月13日(月) 地球ふしぎ大自然「追跡!なぞの漂流ダコ〜厳冬 日本海」[http://homepage2.nifty.com/juf2/info/osirase1/murasaki.html]
「羽衣」を出している写真も発見!
『萩博ブログ』>「タコがヘビに化ける・・・その瞬間を」 「タコがヘビに化ける・・・その瞬間を Part2」

〔※2〕
ネットで探ってみたのだが、マズイという食例に共通しているのが、家に持ち帰っていることと、茹でていること。我々は採ってすぐに刺身にしたので、美味しく食べられたようだ。


〔※3〕
小型のタコには猛毒を持つ種もいるので要注意。

calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< November 2019 >>
Follow identitymarket on Twitter
Twilog (Twitter 過去ログ)
Twilog - @identitymarket


new entries
categories
archives
links
profile
search this site.
mobile
qrcode
recent comment
recent trackback
sponsored links
others
---------------------
+ NetTheRadio +
PSYCHEDELIK.COM
PSYCHEDELIK.COM
psyradio
psyradio
SomaFM - Groove Salad
Groove Salad

---------------------
+ GlobalChillAge +